「『原理講論』は盗作」批判に対する徹底反論

原理講論

原理講論

教理剽窃是非に対する釈明
-剽窃うんぬん、とんでもない話-
柳 光烈

剽窃の意味
国語辞典によれば剽窃(ひょうせつ)とは、「詩や文を作るのに他人の作品の一部をひそかに取って書くこと」と定義されている。剽窃とは明らかに芸術作品の創作と発表の過程で多く問題にされることである。

分かりやすい言葉でいえば、剽窃とは「文章泥棒」である。健全な常識は剽窃を「真理泥棒」とは考えない。したがって今、統一教会の原理に関して、剽窃のいかんを解明しようとすることは、根本的には時間の浪費で、無意味なことだといえる。なぜなら、教理は真理の範疇に属するものだからである。真理はある発明家の特許品でもなく、ある詩人や作家の作品でもなく、ただひとえに人類共有の道理なのである。

世間で、同じだったり似ているものがあった時に、どちらかが剽窃だから剽窃した方は撤回せよ、といつも言っていたら、人々は、発展や生産的なことをおいても、年中けんかに明け暮れるようになるだろう。

イタリアの気候と韓国の気候が剽窃問題で争い、AとBの血液型が同じだからといって、どちらかがどちらかを真似たんだろうとけんかし、この団体とあの団体が、どんな剽窃の経路を通して「愛国」をその団体の目的に打ち立てるようになったのかを明らかにしなければならないだろう。

そしてすべての宗教団体が、その教理の共通点がなくなるまで、戦闘をし続けなければならないだろう。カトリックはプロテスタントに、「どうして人の聖書を盗用するのか」と「聖書禁止仮処分申請」を提起し、また既成キリスト教会は統一教会に「なぜ他人の神様を父と信じ、他人のイエスを救世主と信じるのか」と、剽窃騒ぎを起こさなければならない。

しかし神は、いくつかの教派の人たちだけの神、つまりそういう局限性を帯びた神ではない時に、むしろ初めて真の神になるのであり、「キリスト教徒だけのイエス」の意味を越えて、世界万民のイエスである時に、その時初めてイエスは、真のメシヤの位置に立つようになるのである。

何か言ったからといって、それが全部言葉になるのでなく、必要な言葉を必要な時に語る時にその言葉が価値をもつようになる。こう言ったからといって、統一教会がある特定教団の教理を借りて使ったり是認したり、正当化しようとしているのでは、決してない。

剽窃問題の発端
今まで統一教会に関して、教理剽窃が正式に問題化したことはない。それは根本的に問題になる性質のものではなかったからである。ところが去る(注:1975年)5月19日、ソウルセムアン教会で「統一教批判講演会」というのがあり、その演説者の一人である朴英官氏が〈歴史的批判〉と称して語った言葉の中で、統一教会の文鮮明先生が金百文先生のイスラエル修道院から教理を剽窃した、と公表したのである。あるいはこれが今、教理剽窃問題という、なくもがなの説明をしなければならなくなった、そのきっかけであったのかもしれない。

朴氏の公表した剽窃問題とその真相
まず、朴氏の語った内容を正確に紹介してから、項を別にして解答を提示しようかとも思ったが、便宜上適当に区切って問題点と真相の説明をし、それぞれに処理した。

朴氏は「『原理講論』は『基督教根本原理』の剽窃である」と宣言した。氏はまるで自分が宗教裁判官であるかのような態度をとったが、たとえ骨の髄まで見透かされる神様であっても、教理剽窃うんぬんといった式の判決などは下されないだろう。朴氏はまた次のように語った。

「基督教根本原理から剽窃したのです。それは年代的に、構造面から、核心思想から見てそうなのです。今から20年前に、金百文が京畿道・・・・・・にイスラエル修道院を立て、そこで3年、3年、3年と9年間キリスト教の根本原理を教えた時に、二人の人が熱心にそこで学びました。一人が統一教会の文鮮明で、もう一人が朴泰善です」――まるで自分の目で見てきたように言い放った。

ところが、20年前(注:1955年に該当)という言葉自体が当たっていない。それはまあ、子供っぽい当てずっぽうだったのだろうと、了解することにしよう。朴氏の言葉は事実、ほとんどが間違っている。

先生は解放(終戦)の年(注:1945年)の秋から翌年の春まで、そのころはまだ修道院は発足前であったが、金百文先生の集会運動の草創期に、朴氏が指摘した京畿道のとある田舎のイスラエル修道院ではなく、上道洞(ソウル)礼拝所(正式名称ではない)で約六ヵ月の間補助引導師をされ、やがてそこを出られたことはある。しかしその田舎にあるイスラエル修道院で……二人が熱心にそこに出向いて学んだというのは、全く根拠のないことで、それこそ誰のどんな小説を剽窃して話をつくり上げたのか、理解に苦しむ。

朴氏は、「一人が統一教会の文鮮明だ」と言うけれども、文先生は朴氏が語るそんな主人公としての一人ではなかったし、さらに朴氏が、「もう一人が朴泰善だ」と言うが、あるいは朴長老本人は肯定するかもしれないけれど、私たちの知るところでは、彼はその時そこに一緒にいた事実は全くなく、そればかりか、文先生と朴長老とはいまだかつて一面識もない間柄である。そうした二人を金氏の二大弟子でもあったかのように、わざと粉飾して言ってもかまわない、そんな特権が朴氏にあるのだろうか。

また朴氏は両方が出した本の出版年代を挙げて、次のように言った。

「基督教根本原理は、1958年3月2日出版、原理講論は1966年で、年代的に見ても原理講論があとだ」。

上記の言葉自体は間違いではない。ただもっと適切に言うべきことを、わざと省いたまま、自分に都合のいいように語ったところに問題があるのであって、この内容は真実ではない。

朴氏は、もう少し学者らしく、またもう少し正確な批判をするためには、次のように論証すべきであった。

「統一教会の原理解説が発行される三年前に、耶蘇教イスラエル修道院(金百文)から『聖神神学』という本が出された。その本の目次を見ると、第1課-聖子経路(ヨハネ1章、第2課-重生論(ヨハネ3章)、第3課-聖神神学(ヨハネ3章)、第4課-救援論(ヨハネ3章)、第5課-礼拝学(ヨハネ4章)、第6課-聖体論(ヨハネ6章)、第7課-キリスト観(ヨハネ7~14章)、第8課-信仰結果論(目的論的結果原則、ヨハネ15章)、第9課-創造前世界(ヨハネ17章)となっている。それから3年後、1957年(檀紀4290年)8月15日に統一教会から発刊された『原理解説』の目次は、前編、第1章-創造原理、第2章-メシヤ降臨とその再臨の目的、第3章-人類歴史の終末論、第4章-復活論、第5章-堕落論、第6章-復帰摂理から見た予定論、第7章-エリヤとして再臨した洗礼ヨハネとイエスの再臨、第8章-キリスト論、後編-四位基台復帰を中心とした人類歴史の蕩減復帰路程、第1章-復帰基台摂理時代、第2章-復帰摂理時代、第3章-復帰摂理延長時代、第4章-復帰摂理完成時代である。二つを対比すると両者の間には、類似の痕跡は何もない。

前者が目次の表示を学校の教科書の方式をとって〈第○課〉としているのに対し、後者は一般著書の様式に従って〈第○章〉と表示している。そして双方の目次には同じ単語が一つもないだけでなく、構造面でも大きく異なっていることはたやすく分かる。

前者はヨハネの神学を分析、検討、整理し、再構成した各論を列挙したところに特徴があるが、後者は神学上、いや信仰上基本となるいくつかの主項目を前編に収録したあと、後編で神の復帰摂理歴史の展開の実際相を綿密に説明、描写した。

そして前者の神学の目次には、「聖子経路」「重生論」「聖神神学」「救援論」「礼拝学」「聖体論」「信仰結果論」「創造前世界」といったようなものがあるのに比べ、後者の原理解説には、前者のものとは非常に異なる「創造原理」「メシヤの降臨とその再臨の目的」「人類歴史の終末論」「復活論」「堕落論」「予定論」「洗礼ヨハネとイエスの再臨」などがあるほか、約半分の量を後編の復帰摂理歴史が占めている。

このように両者間の各主題でさえ95パーセント以上が相違し、ただ一つ、前者が「キリスト観」を、そして後者が「キリスト論」を書いているだけだ。

キリスト教神学の各分野を総合的に論述した著書であれば、どんな正統的な基督教神学者の著書であっても、『聖神神学』や『原理解説』と照合してみれば、相似点は多々あっても、この二書の間の差異よりももっと大きな差異を発見することは、できないだろう。まず構造面からしてそうである。

三年前に出た『聖神神学』と、あとに出た『原理解説』の内容を調べてみると、『聖神神学』の中にも少ながらず「原理」という単語が目につくのが特色ある点といえるだけである。そのほかには、原理解説の方で聖神神学を参考にしたといえるような痕跡は何もない。

文鮮明先生か記した『原理原本』と先生の話された内容を総合的に整理して、劉孝元協会長(当時)が原稿を書き、これに柳光烈文化部長(当時)が文章の修正を加え、そしてまた文鮮明先生の監修を経て刊行したのが『原理解説』であるし、その上、この本の製作過程において、『聖神神学』という本が出ているという事実すら、知ることができなかったのが本当のところである。

朴氏の主張どおり教理剽窃の意図があったとすれば、まずこの最初の著書からそれが始まっていなければならないはずである。二つの本の出版年代の差異が三年であるということは、後の者は十分に前の者を写したり、適当に変えてしまうことができるからである。

一方朴氏は、1966年に出た『原理講論』は1958年の『基督教根本原理』よりも遅いと指摘し、そして構造面でも、また核心にある思想も、互いに同じであると主張している。

しかしたとえ同じ点があろうと、金百文先生の方も文鮮明先生の方も誤ったことはないのであり、ただ、偶然か、そうでなければ、霊通した根源が一つの神なので、ある程度同じでありながら、また二人がいろいろな面で互いに異なっているように、それなりの差が二つの本の間にもあるのかもしれない。

正に年代順にいうならば、かえって朴氏の主張とは正反対の結論が出るが、すでに1954年に出た聖神神学の序文(啓)に本章と共に未来に伝えるキリスト教三大原理書という予言があったので、基督教根本原理(1958年刊)が統一教会の原理解説(1957年刊)を剽窃していたとは、少しも考えない。しかし、表れた事実と経緯だけは、明らかにし少数の誤者の認識を正しめたい。

①上述したように、1954年3月2日に出た金百文先生の『聖神神学』と、1957年8月15日に出た統一教会の『原理解説』は、必要があれば十分に前者を模写する時間上の隔たりがあったのだが、両者は少しも似たところがない。朴氏の主張を裏づけるだけの剽窃行為をしなければならなかったとすれば、この段階しか機会がなかったにもかかわらず、統一教会側では、何年か前に『聖神神学』という本が出ていることも知らないまま、ただ自分たちの講義をし、自身の原稿をのみ執筆してきて、1957年に自体の必要性によって、『原理解説』を発刊したのである。

②『原理解説』が出てから半年足らず(1958年3月2日)で金百文先生の『基督教根本原理』が出たのだが、これが構造面から一見すると、統一教会の『原理解説』と非常に似通っていた。つまり、編、章、節というふうに体系的に論理を展開するばかりでなく、構成も第1編-創造原理、第2編-堕落原理、第3編-復帰原理と大別して、朴氏のような人物がこれを詳細に前後をわきまえてよく見たら、金百文先生が統一教会の原理を剽窃したのだ、という結論を出すのにあつらえ向きになっている。しかし筆者の見るところでは、この両者の間には、少なくとも意識的、故意的な剽窃関係はなかったと断言したい。金百文先生の『基督教根本原理』が、わずか半年の間に統一教会の原理解説の模写作業をしてしまうのは、とうてい不可能である。それは菊判(注:縦218mm×横152mm:A5判よりやや大きい)850ページ近い膨大な本であり、また前に述べたとおり、1954年度の『聖神神学』が出る時から計画されていた本であるからである。

ただ目次の編成や論理展開の構成が、統一教会の『原理解説』のそれと近似しているが、『原理解説』とは全く関係なく、6.25事変(韓国動乱)直後に出した最初の本(聖神神学)に比べて時間的余裕があったので、実務者によっていくらでも、学術書に使う一般様式を導入したり、また日進月歩の洗練を期すことができたからである。

③また朴氏は、いい加減にも、1966年5月1日に出た『原理講論』を持ち出して、1958年に出た『基督教根本原理』よりも年代的にあとであると、何か大きな発見でもあるかのように声を大にしているが、そんな言い方をすれば1958年に出た『基督教根本原理』は、1957年に出た統一教会の『原理解説』よりあとだ、ということもできるのだが、そんなにわとりか玉子かというような論難までしなくても、これに対する反証の資料はいくらでもある。朴氏には申し訳ないことだが、統一教会の『原理講論』は、統一教会から最初に出た本でもないし、一番新しい本でもない。『基督教根本原理』に先立って出た『原理解説』の改訂版で、再版と変わるところのない本であることを、今、遅ればせながらでも認識し、その見解を正さなければならないだろう。

人のことを言おうとするなら、もっと注意深く調べてみる手間くらいは惜しまないでもらいたい。

また朴氏自身が『原理講論』以前に『原理解説』がすでに出ていたことを知っている以上、二つの本を対照して互いにどんな差異があるかくらいは調べておいたら、こんな無謀な失敗はしないで済んだはずである。

結 論
結論はこうである。朴氏のやり方のように、双方の教理書を取り上げて年代順に考えたり、またその表れた結果をもって見るならば、あたかも金百文先生の『基督教根本原理』が統一教会の『原理解説』を模倣したかのような印象が濃いけれども、その著作経緯をよく見ると、そんなことは全くあり得ず、それはそれなりの完全に独自的な教理書であることは疑い得ない。また『原理解説』もやはり、著作経緯から見て根源的に独自的なものであって、朴氏のいう剽窃うんぬんなどは、とんでもない話である。

文先生はたった半年とはいえ金先生と共にいたのだから、いくらかでも金先生の教理を聞いたのではないかと、あくまでも主張するなら、話はこの問題からそれていかざるを得ない。

文鮮明先生は、まだ修道院が出来もしないころ、ある礼拝所の、それも解放直後の混沌としていた時期に、補助引導師として半年間を過ごしながら、自由に往来する金先生と時たま接触されたが、そのまま北韓に行って教会を設立し、その後約3年間も厳しい監獄生活を送られた。

6.25以後、すぐに南下して避難の苦役を経たのちに、先生なりの福音伝播活動をして教理を広めたのであるが、そうした経緯を経ながらも、あのように世界の耳目を集めるほど、古い教理をよくよく考え、整理する能力をもっているのだから、その先生が、自らは何もせずに、人の教理を盗むような人柄であるはずがない。

文鮮明先生か他人の教理を剽窃した人物になるようにあくまで結論を導こうとすれば、朴氏は、文先生と他の全世界の神学者、牧師たちも共に、伝統的なキリスト教の教理を99くらい剽窃してから、別の特殊な人の教理も一つくらい剽窃したと計算しなければ、つじつまが合わなくなるだろう。百歩譲って、ある先輩、先生から文や真理を学んで自分のものにしたことが、すべて剽窃行為になると、規定するほかないとしての話である。

その代わり、その時には全世界の学者たちは一人残らず、剽窃行為者として自認しなければならないだろう。(『受難の現場: 統一教会受難とその真相』p.319~325)