聖霊は女性神?

HOLYSPIRIT_16:「『統一原理』では、聖霊を女性神としているが、ヨハネによる福音書14章16節などに出てくる“助け主”と訳されている言葉は、ギリシャ語で“ホ・パラクレイトス”という。『ホ』という男性単数主格を表す冠詞で明らかなように、聖霊は男性格である。したがって、聖霊が女性だというのは聖書的見解ではない」という意見を聞きました。どのように考えたらよいでしょうか。

:この問題は、聖霊なる存在が聖書においては、“主の霊”とか“神の霊”とか“み霊”などといろいろなかたちで呼ばれ、その働きも実に多様に表現されており、それが『原理講論』の重生論における聖霊とは必ずしも同じものを意味していないため、説明に若干の困難を要します。

結論から言って聖書全体における聖霊とは、広義の意味においては、人類の救済と新生のために個人と歴史に働く一切の神の霊的活動を意味します。その意味では、質問の指摘のように聖霊は必ずしも母性的働きのみに限定することはできないことを「統一原理」は認めます。

しかし、聖霊を女性格と見ることは決して不当なことではなく、初期のクリスチャンたちの多くが、聖霊を女性的存在として見ていた証拠がいくつも残っています。

そもそも、霊を意味するヘブライ語は“ルーアッハー”(ruach)という女性名詞が使われています。〈新約聖書によく見られる“プニューマ”(pneuma)というギリシヤ語は中性名詞となっています〉。さらに旧約聖書において、神の知恵(hokmah――ヘブル語原典では女性名詞)は女性の霊として描かれています(箴8、9)。その他、聖霊の働きは慰労と感動を与え人間の心をイエスに導く(コリントⅠ12:3)といった女性的働きを有していることが明らかです。

使徒時代以後にユダヤ人のクリスチャンたちが用いていた『ヘブル人福音書』(Gospel of the Hebrews) には、イエスが「我が母、聖霊よ」と述べている言葉が引用されています。
また、初期のシリア、もしくはエジプトのクリスチャンたちの産物である『トマス行伝』(The Acts of Thomas)には、聖霊に対して「慈悲深い母、隠された神秘を現す女性、至高なる方の愛する方よ……」と呼びかける讃美歌や礼拝の祈祷文が載っています。『マニの福音書』(The Gospel of Mani)には、父なる神の権能と母の祝福、および、子の善を讃える三位一体論の頌栄が見いだされますが、恐らくこれはマニ教徒たちが、その当時のあるクリスチャンの団体から学んだものであろうと考えられています。(統一神学より)このようにイエスの復活以後における聖霊の働き(狭義の聖霊)を女性神ととらえることは、決して非聖書的結論ではないといえましょう。(『聖句Q&A』より)