浅見定雄氏の批判
ユダ6、7の「御使いたち」は複数であって堕落した天使長ルーシェルを指しているのではない。さらに「不自然な肉欲」とはソドムの男色、つまり、同性愛のことであってエバとルーシェルのような異性との性関係ではない(浅見定雄『原理講論の仮面を剥ぐ』18ページ)。
批判に対する回答
確かにこの聖句は、直接ルーシェル天使長に関するものではない。『講論』も、この部分のみをもってルーシェルが淫行により堕落したのだと結論しているわけではない。しかし、ここでの「御使いたち」の堕落の原因が、「淫行」にあったということは、ルーシェルの堕落もまた淫行にあったと言うことを理解するのに大いに力(傍証)となるものである。
ところで、「不自然な肉欲」が同性愛だということであるが、ここでも浅見氏の“浅学”ぶりが遺憾なく発揮されている。
まずこの部分(ユダ6、7)は、外典エノク書からの引用であることが認められている。例えば、『新約聖書略解』は次のように解説している「後期ユダヤ教の著名な物語となっている天使の不倫をさす。地位を守ろうとはせず(エノク書15:7、そのおるべきところを捨て去った御使(同書12:4、10:4~6、10:11~12、54:3~5)。本来の権威ある身分と高い天のすまいを捨て人間の娘のところにはいり、淫行を犯した天使が……」(日本基督教団出版局760ページ)。
また、この部分については『フランシスコ会訳聖書』は、次のように注解している「本節は、創6:1~4の背景、すなわち、人間の娘をめとって堕落した天使のことを物語る神話に言及したものであろう。この話しは、外典エノク10:11~15、12:4、15:4~9、19:1に詳しく述べられている。本節に関するこの解釈は、次節の〈かれらと同じく〉という句からもうなずける。……“不自然な肉欲”は直訳では“異なった肉”。堕落した天使が人間の女を求めたように、ソドムの人々もその町を訪れた二位の天使をおかそうとした(創19:5、なお、外典アセルの遺訓7:1参照)。この堕落した天使たちの罪とソドムの人々の罪は、外典ナフタリの遺訓3:4~5でも関係づけられている」(147ページ)。
すなわち、ここで、ユダ書が言わんとしていることは、エノク書にある〈人間と天使〉と言うような「不自然な肉欲」と同じように、ソドムの人たちも〈人間と天使〉(創19:5)というような「不自然な肉欲」に走ったということなのである。
以上、浅見氏は、『仮面』の中でいかにもすべてを知っているかのように「ソドミー」などという言葉まで出してきているが、ここでの「不自然な肉欲」とは、同氏の言うような「同性愛」を意味しているのでなく、明らかに〈天使と人間〉との関係を意味しているものである。
したがって、この聖句は、ルーシェル天使長とエバの淫行関係という問題に関して、十分傍証としての意味を持つものである。(世界基督教統一神霊協会・神学問題研究会編『統一教会への教理批判に答える:浅見定雄氏に対する反論』より)