文師が“学歴詐称”って本当?

「学歴詐称」批判の真相

反対牧師は、「文は学歴詐称をしている」と批判します。この〝学歴詐称〟の批判には大きく2つの流れがあります。

 

①批判その1︱︱森山諭牧師の批判の流れ

一つの流れは、森山牧師の批判で、早稲田大学……云々を論ずる以前に、文師の日本留学それ自体が怪しいというものです。

森山牧師著『原理福音統一協会のまちがい』(ニューライフ出版)には、次のように書かれています。

 

「統一協会の資料では、彼は1939(昭和14)年に、釜山から日本に渡り、早大で学んだことになっています。1945年、日本が敗戦。韓国が独立した年に帰国したと言いますが、その前の44年、彼を世話した下宿屋から、悲しい葬儀が出たと伝えます。それは、その下宿屋の美しい娘が大先生に恋していたが、ある時、大先生に扮した男がその美しい娘さんをだまして貞操を奪った。純情なこの美女が大先生に申しわけないとして自殺した。この悲しい事件を通して、大先生は、エバに対するへびの誘惑が、姦淫の罪だと知った(「播植十年—早稲田十年の歩み」62ページ)とします。『この生々しい事件が、彼をして日本への復讐心を抱かせた動機でしょう』、と統一協会を批判するジャーナリストが証言するから、『それはウソです』と語ったところ、『いや、その下宿屋のおばさんがG県に住んでおり、今も文氏から時々手紙や贈物があるので、〝さすが文さんだ〟と賞めているそうです』と言います。私は、『早大で学んでいたというその期間、京城商工実務学校にいるのだから、日本におれるはずがない』と断言しました。あとでそのジャーナリストから、『調べて見たら、やはりウソでした』と伝えてきましたが、この失恋自殺事件は、お涙頂戴のメロドラマにしても、お粗末すぎます」(10〜11ページ)

 

森山牧師は、統一教会の資料の中に、「1938年に日本に留学したとある」としていますが、例によって、この情報の出所を明確にしていません。

確かに森山牧師のいうように、かつて統一教会内では、非公式的に、1938年説、1939年説、1941年説の3種類の説が流布されていたようです。

しかし、森山牧師がこの批判書の改訂三版を出した1985年時点では、すでに統一教会の見解は1941年に統一されており、ジャーナリスト那須聖氏が統一教会について取材し、1984年に出版した『救世主現わる』(善本社)にも、1941年春とされています(37ページ)。

森山牧師は、そのことを十分に調べもしないまま、ただ文師が1941年3月に撮った京城商工高等学校の卒業写真があるという理由で、即、文師の日本留学自体が疑わしいと、勝手に決めつけているのです。

しかし、日本に留学した事実は、当時、文師に下宿を提供した三橋孝蔵夫妻が証言しておられます。三橋氏はその後、何度か文師と手紙のやりとりをしています。また、1997年5月29日には、文師の日本留学時代の写真が見つかっています(1997年7月号「ファミリー」93ページ)。

現在は、森山牧師の流れをくむ批判は、全く聞かれなくなっています。なお、森山牧師は、文師が「終戦の年」に帰国したとしていますが、この情報も間違っており、正しくは1943年10月です。

 

②批判その2︱︱茶本繁正氏の批判の流れ

もう一つの批判は、1977年8月10日出版の茶本繁正著『原理運動の研究』(晩聲社)に端を発する批判の流れで、それは、統一教会関連の出版物に書かれている内容の事実関係を調べようと、早稲田大学の学籍課で調べたが、早稲田大学には文師と思われる人物名が見当たらず、その裏付けを取れなかったというものです(63〜65ページ)。

山崎浩子さんが脱会説得を受けたとき、この茶本氏の流れの批判の影響を受けたようで、著書『愛が偽りに終る時』には次のように書かれています。

 

「文師の学歴だって、『早稲田大学理工学部電気工学科卒』となっていたり、『早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科卒(現在の早稲田大学理工学部)』となっていたり、( )内の注釈がとれていたりと、語られる年代、講師によって様々だ。( )内の注釈がとれたものが本当の学歴らしく、最近はそう言っているが、もちろん早稲田大学の理工学部とは何の関係もない。

別に私は、メシアは大学出じゃなくていいと思う。むしろ学歴なんか関係ないと思う。ただ、最初は大学出のような顔をして、卒業生名簿などを調べられ、ウソがつけなくなってくると、知らぬ間に経歴を変えていく。そのウソのつき方があまりにも滑稽でバカバカしかった。

メシアである文師の学歴は問わずとも、どんな経歴をたどってきたかは重要なことだ。メシアがどんな家に生まれ、どんな環境に育ち、どういう出会いがあってここに至るのかは『主の路程』として語り伝えられ、それだからこうなのだと結論づけられているのだから、それぐらい正確にしてほしいものだと思った。関係者の聞き間違いですまされるものではない。〝誰か〟がウソをつかなければ、この経歴詐称が生まれるはずはない」(196〜197ページ)

 

確かに、山崎さんの言うように、主要な統一教会関連の出版物を読み比べてみると、そこに食い違いがあります。

例えば、1970年代前半に読まれていた野村健二著『血と汗と涙』には、「1939年19歳の折、もはや青年になられた文先生は、大学にはいるため、はじめて日本本土に渡られることになった。……日本本土に渡った文青年にとって、この1939年から1945年までの6年間は、イエス様から託された神の使命に向かって公的にあゆみ出すためのすべての準備を整える重要な期間であった。……(文先生は)早稲田大学の電気工学科に進まれたと伝えられる」(17〜21ページ)とあり、1988年11月21日発行の『先駆者の道』(光言社)には、「文先生は、日本の早稲田大学附属早稲田高等工学校電気科で勉強を続けました」(16ページ)とあり、さらに、1989年6月4日発行の『文鮮明師とダンベリーの真実』(光言社)には、「東京の早稲田大学で電気工学を学びました」(136ページ)とあります。

文師が入学されたのは、「早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科」というのが正しく、統一教会の月刊機関誌「ファミリー」では、次のように説明しています。

 

「文先生が……学ばれた期間は、1941年4月から1943年9月である。同校は夜間学校で、授業は午後6時から9時半まで行われた。授業の内容は、電気に関する専門的なものが多い。同校は1928年に創立され、1951年に閉校した。……文先生がおられたときの修学年限は3年間であったが、戦争のため6か月繰り上げ卒業となった」(1997年7月号「ファミリー」93ページ)

 

この食い違いの問題に対して、山崎浩子さんは「〝誰か〟がウソをつかなければ、この経歴詐称が生まれるはずはない」と断定します。

しかし、果たして、統一教会関係者が意図的に〝嘘をつこう〟としていたのでしょうか、それとも、何か他の理由によるものなのでしょうか。それを見極めることは、とても重要なことです。

日本統一教会が創立されてから20年にも満たない1970代は、組織も十分に整備されていない頃であり、さまざまな伝承が語られ、情報が混乱することは十分あり得たことです。

特に、この文師の留学問題については、まず、文師が日本名を使っておられたこと、早稲田大学附属早稲田高等工学校が閉校されてから久しくなっていたことなどから、その事実関係を調べることが極めて困難だったと推察されます。事実、茶本繁正氏も調べきれなかったのです。

ですから、誰からか「早稲田大学附属……云々だった」と伝え聞いたとき、その裏付けが取れないなかで、〝附属〟という言葉の意味を十分理解できない人の場合、「どうやら早稲田大学の、何とか学部だったらしい」という情報に変貌してしまうことは十分あり得ました。そういう事情から、不幸にして起こった問題だったと言えるでしょう。

もし統一教会関係者に「嘘をつこう」という意図があったなら、むしろこのように情報が混乱すること自体、不自然なことと言えます。

事実、1979年6月25日発刊のF・ソンターク著『文鮮明と統一教会』(世界日報社)には、留学問題に関して「1938年、彼は電子工学を学ぶべく、日本に留学した」と118ページにあるにもかかわらず、その前のページに掲載された韓国の学生時代の写真説明文には、1941年2月27日撮影とあります。1941年2月、いまだ韓国で就学しておられた文師が、どうして1938年に日本へ留学しているのでしょうか?

ページを前後し、こういう初歩的ミスが起こってしまった背景には、本文を書いたソンターク氏は、文師が韓国の学校を卒業したのは18歳と推定し、「留学は1938年」と単純に思い込んでいた統一教会メンバーからその情報を入手して著述し、一方、前ページの写真の説明文は、著者とは違う別の人物が挿入したからだと思われます。

このような本が出回っていたこと自体、統一教会が嘘をつこうとしていたのではなく、当時、教会内で情報が混乱していたことを如実に物語っています。もしそれを「悪意」と言うなら、福音書に書かれたイエスの生涯の記述も、相互矛盾が数多くあることから、「イエスやクリスチャンは人をだまそうと経歴を偽っている」という批判も成り立つでしょう。

〈福音書の相互矛盾の問題については、拙著『「原理講論」に対する補足説明』(広和)の40〜69ページを参照〉

それにしても、このような記述の矛盾をあげつらうことで、さも文師や統一教会が意図的に「学歴詐称」をしていたと、山崎さんに信じ込ませることに成功した反対派の話術に〝狡猾さ〟を感じます。

なお、このような無益な混乱が起こらないためにも、『日本統一運動史』など、日本歴史編纂委員会による公式的な出版物を学ぶことをお勧めします。

(太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』:光言社より抜粋)