Q:病気の原因は、「本人や両親が罪を犯したからではなく、神のみわざが人にあらわれるため」(ヨハネ書9章1節~3節)であるから先祖の因縁は関係がない?

Q:病気の原因は、「本人や両親が罪を犯したからではなく、神のみわざが人にあらわれるため」(ヨハネ書9章1節~3節)であるから先祖の因縁は関係がない?

A:ここでイエス様が弟子たちに語ろうとされた真意は、“病気や一切の不幸が、先祖や本人の犯した罪と全く関係がない”といった思想を表明することではなく、弟子たちが“この人が盲人なのはだれのせいだろう”などと罪の責任の所在をあれこれ考えていた時に、大事なことはそういうことではない、我々、罪の血統の中に生まれた堕落人間は、この道端に座って物乞いをしている盲人と同じであって、みな等しくメシヤによる救いを必要としている哀れな存在なのだ、ということを示そうとされたということです。

『新聖書註解』ではこの部分を、「この場合、父親の罪が子に及ぶかどうか、肉体の苦難は本人の罪の結果であるかどうかといった質問は全く見当はずれである」(新約1 487ページ)と述べることによって、イエス様がある特別な意図をもって語られたことを示しています。

事実、ヨハネによる福音書5章14節(足なえの癒しの場面)では、「この事件は9章3節と違っていて、彼の病気が罪の結果であったことを暗示する」(『カトリック新聖書註解』1319ページ)。

エレミヤ書31章30節の聖句に関しても、「ここで問題になっているのは、刑罰における共同責任論から個人責任論への変化ということにあるのではない」(『新聖書註解旧約4』190ページ)と解説されています。

罪の遺伝的性格は、十戒の「父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし」(出20・5)の言葉にはっきりと表されています。

『聖句Q&A』