ハムはノアの末の子だった?

ノアの3人の息子、セム・ハム・ヤペテについて、『新共同訳・旧約聖書注解Ⅰ』では、「セム、ハム、ヤフェト(ヤペテ)は年齢順ではない……出生順はセム、ヤフェト(ヤペテ)、ハムとなる。ヤフェト(ヤペテ)とハムを入れ替えたのは、短い名前(音節が少ない名前)が前に来ることによって全体の音調(口調)をよくするため……」(40ページ)と説明しています。

しかし、『新聖書大辞典』(キリスト新聞社)では、ハムを「ノアの第2子」と説明しており、また、イエス時代の写本、死海文書の所有者だったとされるクムラン教団で盛んに読まれていた「ヨベル書」(小創世記)では、長男セムと次男ハムの年齢差は2歳であり、三男ヤペテはハムよりさらに3歳下であったと説明されているのです。このように、現代のキリスト教辞典や、またユダヤ教古文書でも、セム、ハム、ヤペテがそのまま年齢順であるとしているのです。

また、口語訳聖書の創世記9章24節に「末の子」とあることから、ハムは次子ではなく、三男だとする解釈があります。しかし、24節の「末の子」は「若き子」と訳すべきであるとし、ハムは、やはり次子であるとする学者が多くいます。事実、文語訳聖書では、それを「若き子」と訳し、七十人訳聖書、ラテン語訳聖書も「年下の子」と訳しています。ところが、このような見解については、全く触れずに、一切無視して論述しているのです。

(太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』:光言社より抜粋)

人類歴史をたった6000年と見なしている?

日と月s浅見定雄氏の批判
人類歴史をたった6000年のことと見なしている(浅見定雄『原理講論の仮面を剥ぐ』20ページ)。

批判に対する回答
『講論』で扱われている人類歴史六千年という数字は、あくまでも聖書の記述を中心とした摂理的数字であって、象徴的なものであり史実とは異なるものである。参考のため、以下に『講論』の思想的展開である『統一思想教材』(統一思想研究院)から一文を引用しておきたい「人類始祖出現六千年説には必ずしも固執しない。六千は六数に摂理的な意味があるのであり、実際には数万年以上あると見る」(208ページ)。(世界基督教統一神霊協会・神学問題研究会編『統一教会への教理批判に答える:浅見定雄氏に対する反論』より)

アダムの年齢「930歳」やノアの年齢「950歳」を史実としている?

男女 ハテナs浅見定雄氏の批判
アダムの年齢「930歳」やノアの年齢「950歳」をみな史実としている(浅見定雄『原理講論の仮面を剥ぐ』20ページ)。

批判に対する回答
この問題も前項の問題(人類歴史をたった6000年のことと見なしている)と同様である。アダムやノアの年齢も摂理的意味をもって象徴的に書かれているものであって、『講論』は彼らの年齢を史実とみなしていない。ところで、このように表現されてきた背景をいかに考えるべきか、以下に若干の考察を加えておきたい。

この種の年齢の問題に関しては、これまでにも、①ここで記載されている名前は個人のものではなく、世襲の家名であろう(例えば王朝のごときもの)、②ここでの1年は現在の12ケ月の1年よりもずっと短かったのではないか、③一般に太古の年表は文字どおりではなく象徴的数字で記載されていた、など様々な意見が出されてきたが、一般的に難解なところとされている。これについては『聖書の考古学』も、(この驚くべき年数の原因と意味は、……解き得ぬ謎として残っている」(講談社14ページ)としている。しかしながら、われわれに参考になると思われるのは、前述③項にも関係するが、これらの物語成立の背景をなすオリエント地方の神話に関する事柄である。

オリエントを中心とする古代社会の神話のほとんどには、洪水神話が含まれているが、そこでは人類誕生から洪水までの期間を10人の異常に長い寿命の王の名前で説明されている。例えば『聖書ハンドブック』(聖書図書刊行会71ページ)によれば、BC300年頃のバビロニアの歴史家ベロッソスは、マルドゥク神殿の記録保管所の古代記録から調べたものとして、一代で一万年から六万年を統治したとする以下のような十人の王を挙げている〈アロロース→アラパロス→アメロン→アムメノン→メガラロス→ダオノス→ユードラク→アメンプシノス→オチアルテス→クシストロス、そしてクシストロスの時に大洪水が起こった〉。

また、バビロンの南東ニップルで発見された五万枚からなるBC3000年代の粘土板と、ウルの北方の町ラルサで発見されたBC2170年に書かれた角柱(ウェルドの王朝角柱)には以下のような洪水前までの10人の名とその王たちの統治年数が記されていた〈アリュリム(2万8千年)、アラルマール(3万6千年)、エメンルアンナ(4万3千年)、キチュンナ(4万3千年)、エンメンガランナ(2万8千年)、ズムジ(3万6千年)、ジブジアンナ(2万8千年)、エメンズランナ(2万1千年)、ウブルランツム(1万8千年)、ジンスズ(6万4千年)、それから洪水が大地を覆った〉。

これに対して、聖書は創世記5章でアダムからノア(洪水)までの期間を次の10人の長寿の人物で説明している〈アダム(930歳)、セツ(912歳)、エノス(905歳)、カイナン(910歳)、マハラレル(895歳)、ヤレド(962歳)、エノク(365歳)、メトセラ(969歳)、レメク(777歳)、ノア(950歳)〉。

ところで、このような古代オリエントの神話と聖書の記事との類似性については『新聖書注解・旧約1』は次のような見解を紹介している「カスートは、この系図における歴史性の特徴をバビロニア伝承との比較を通して見ている。原初の世代の十人の頭についての伝承は、古代東方の諸国民の間に数多く存在していた。

バビロニア、エジプト、ペルシャ、インドの諸例のうち、よく知られているのがシュメール人の王のリスト、五章(創世記)の系図に最も近いのがバビロニアの王のリストである。後者は、洪水前後のそれぞれ十人の王たちについての伝承である。王たちの治世が一万年から六万年という大きな数字であることでは全く異質。しかしリストの七番目がアダムから七番目の〈エノク〉を思わせる人物、十番目が洪水物語の英雄で、同じ十番目の〈ノア〉に相当する人物であることなど著しい類似点もある」(いのちのことば社、104ページ)。

おそらくこのようなオリエントの各地に存在する類似した神話は、互いに影響を与えながらそれぞれ成立したと考えられる。
アダムからノアまでの十代については、合理的な理解の仕方として、この間の代表的な十人の人物が選ばれ、ある期間(神が啓示すべき意味を持った期間)を満たすため、長寿の年齢が彼らの上に表示されているのだと考えることもできるであろう。(世界基督教統一神霊協会・神学問題研究会編『統一教会への教理批判に答える:浅見定雄氏に対する反論』より)

アベルの小羊はイエスの十字架の予表だった?

アベルとカインs:「カインの供え物が顧みられなかったのは、彼の捧げた供え物が地の産物だったからで、地の産物は血が流れないため、人類の贖いの供え物としての神の小羊、すなわちイエス・キリストの十字架の犠牲を予表(象徴)することができなかったからである。

また、アベルの供え物が受け入れられたのは彼の信仰(人間側の功績)のゆえであって、神の選び(善の表示体)だったからではない。ヘブル人への手紙11章4節に、『信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた』とはっきりと述べられている」という意見を聞きました。どのように考えたらよいでしょうか。

:まず第一に、供え物の種類が悪かったという考え方に対してですが、それでは神はいつでも供え物として血の流れるものばかりを要求されたのかというと、決してそうではありません。例えば、素祭などは地の産物でした(レビ2:1~16)。

したがって供え物がすべて十字架を予表しているという考えは、聖書のすべてを“血による贖い”という観点から見ようとする、行き過ぎた見解といえましょう。このことに関して次のように述べられています。

「カインとアペルのささげ物は、罪の赦しを求めてのそれではない。……しかし感謝の中に、神よりの好意と祝福への願いを認めるなら、広義の和解の求めを認め得る。この意味では、作物のささげ物も、羊のそれも本来同じものであろう。……カインの場合、罪のための動物の血が注がれなかったから受け入れられなかったと言われる。しかし、これは啓示の歴史の流れと、直接の文脈の両方から外れている。……カインのささげ物が受け入れられなかった理由が明らかにされなかったからこそ、『神がカインにとり隠された神となり怒りの神となった』」(『新聖書註解旧約1』99ページ〈関根氏〉)。

「神はアベルとそのささげ物に目を留められたが、カインとそのささげ物は顧みられなかった。相違はどこにあったのか。へブル語本文では、ささげ物自体にこの原因を見い出していない」(前掲書69ページ)とはっきり述べられています。

第二に、アベルの供え物が受け入れられたのは、その信仰(アベルの資質・功績)のゆえであったという点に関しては、「統一原理」は必ずしもアペルの信仰を否定するわけではありません。しかしそのことが決定的な条件であったのではなく、その背後にもっと深い神の選びの計画があったとしているのです。例えば、次のように記されています。

「ヤーウェがアベルの供え物を受け入れ、カインの供物を拒否した理由の説明はない。後代のユダヤ教の伝承……は功績によるものであるとしているが、著者は、神の選択が無償であることの説明に使っている。これはイサクとヤコブの場合などにも同じであって、神は長子を無視して別の子を選んでいる」(『カトリック聖書新註解書』207ページ)。

またヘブル人への手紙11章4節に関しては、「アブラハム以外の人々の信仰について旧約聖書は特別に述べていない。この書の筆者の解釈である。……信仰という点で特にアベルの事跡を求めることはむずかしい」(『新約聖書略解』684ページ)と述べられています。(『聖句Q&A』より)

「ノアは120年間あらゆる嘲笑を受けながら山頂に箱舟を造った」の根拠は聖書のどこに?

ノアs:『原理講論』によると、「ノアは120年間あらゆる嘲笑を受けながら山頂に箱舟を造った」ということですが、聖書のいったいどこに記されているのでしょうか。

:確かに創世記6章の洪水物語をずっと読んでみても、ノアが啓示を受けてから洪水審判まで120年あったと明確に述べられている箇所はないように思われます。しかし、ヒントとなる重要な聖句が創世記6章3節に記されています。
「そこで主は言われた、『わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は120年であろう』」。

これは一見、質問の内容とは関係のない聖句のようですが、実はこの聖句の訳には問題があり、同じ箇所をドン・ボスコ社のカトリック聖書で見ると、次のようになっています。

「すると主は、『私の霊はいつまでも人間のうちに居つづけないだろう、かれは、肉だけのものでしかないからである。かれの日かずは、あと120年』とおおせられた」。

これは一般の人間の寿命を意味するというよりも、罪を犯した人々に対して神が、“おまえたちはあと120年しか生きられない”と宣言されたということで、120年後に洪水審判が下されることを暗示していると思われるのです。この見解が正しいことを示すいくつかの文献を挙げてみましょう。

「〈人の齢は120年〉。文法的には人のさばきの執行猶予の期間(Iペテロ3:20)とも、地上の人間の寿命の短縮ともとれる」(『新聖書註解1』いのちのことば社、110ページ)。ノアの洪水s

「J(モーセ五書を構成していると思われる文献J、E、D、Pなどの一つ……著者注)は、物語を『非神話化』して使うことによって、全般的に堕落した人間の状態の証拠として、その寿命が120年に限定されたと考えたのであろう。しかしこの逸話と結びつけた洪水物語との関連上、120年を大災害の発生前に人類に与えられた恩恵の期間とした、と解釈する方がよいと思われる。明らかにこれが創世記の最終著者の意図である。なぜなら、後にPにおいては、120年以上の寿命が個人に与えられているからである」(『カトリック聖書新註解書』エンデルレ書店210ページ)。

「一般人類の生命の息……は、120年後の洪水によって断たれるであろうという神の宣言(おそらくヨナ3:4の場合と同じような悔い改めの期間……)以上の解釈はギリシャ語訳、ラテン語訳、シリヤ語訳に一致するものである」(聖書〈原文校訂による口語訳〉フランシスコ会聖書研究所訳注、中央出版社55ページ)。

これらの文章は、洪水前に120年という期間があったとする『原理講論』の主張が、かってな独断ではなく聖書的根拠に基づいていることを明確に示しているものといえましょう。(『聖句Q&A』より)

ノアの箱舟の「3次のハトは21日」は間違い?

PENTATEUCH_05:「ノア家庭」(『原理講論』453ページ)では、ノアは箱舟からハ卜を7日ずつ三次にわたって放ち、合計21日間費やしたことになっていますが、聖書を見ると、7日は2回しか出てきません。いったいどのように考えたらよいでしょうか。

:確かに、現在私たちが一般的に用いている日本聖書協会発行の口語訳聖書には、カラスを放った後、最初のハ卜を放つまでに7日間かかったとは記されておりません。しかし、第二のハ卜を放つために待った七日間のところ(創8:10)を英語の聖書(R・S・V米国改訂標準訳)で見ると、“He waited another seven days.”となっており、その7日の前にもう一つ7日があったことが暗示されています。この箇所をさらにカトリックの聖書で見ると、はっきりと次のように記されています。

創世記8章6節から8節まで見ると、

「四十日後、ノアは、箱船につくってあった窓をあけて、水がへったかどうかを見るために、からすをはなした。からすは出て、地上の水がかれるまで、行ったり来たりした。ノアは〔七日待ってのち〕今度は、水が地のおもてから引いたかをみるために、めばとをはなすと……」(フェデリコ・バルバロ訳ドンボスコ社18、19ページ)。

さらに

8節の〔七日待ってのち〕の注に、「現今テキストには、ないことばだが10節の『あと七日待ち』とあるから、原本にもあったと思われる」

とはっきりと記されています。

『新聖書註解』(いのちのことば社)にも、「10節の『それからなお七日待って』は、烏を放ってから七日たって最初の鳩が放たれたことを示していると見てよい」(旧約1 118ページ)

と注釈されています。

ANIMAL_22こうしてみると、『原理講論』において三次にわたるハ卜が7日ずつ合計21日間費やされたという見解は、決して不当な解釈ではない、ということが分かります。クリスチャン(特にプロテスタント)にとって真理の判定基準は、人間の理性ではなく、聖書にどのように書かれているかということだけが真理か否かを決定する尺度となっているので、聖書に記されていない事柄に関しては、容易に信じようとはしません。

しかしこの聖句の問題は、現在我々が用いている聖書が決して真理判定のための唯一絶対の基準とはなり得ないことを物語っています。同じヘブル語あるいはギリシャ語の原典から訳された日本語の聖書だけでも、口語訳、文語訳、新改訳、共同訳、バルバロ訳、現代訳……などと実にたくさんあります。また同じ口語訳聖書を用いるクリスチャンの間でも、様々な解釈の相違が生まれ、多くの教派分裂を起こしています。

「統一原理」は、聖書の一字一句の表現よりも、そこに記されている事柄の事実性をより重要視します。「統一原理」は聖書を綿密に読むことによって構築された理論ではなく、あくまでも神からの新しい啓示として与えられたものですから、あるところは事実の方が逆に先行し、聖書の記録の方がそれに対して十分でない部分もいくつかあるのです。(『聖句Q&A』より)