一つは処女降誕の根拠となるイザヤ書7章14節は確かに七十人訳(ギリシャ語)では“処女”(a virgin)となっていますが、ヘブル原典では単に、“おとめ”(a young girl)となっており、必ずしも処女を意味しないということ。この点については日本基督教団の『旧約聖書略解』は、「イエスの奇跡的誕生との関連において、マタイ福音書の著者がイザヤ書7:14を奇跡的に解釈するのは当然であるが、イザヤ自身はこの聖句にそのような意味をもたしていないことは、これがスリヤ・エフライム戦争においてアハズ王に語られた神の言葉であることからも理解しうる。「おとめ」と訳されているヘブル語は「結婚適齢の若い女」をさし、処女であっても、既婚の女であってもよい」(667ページ)と述べています。ハルナックもその著『History of Dogma』の中で「処女降誕の観念は旧約聖書の誤訳による」と説明しています。
A:確かに、現在私たちが一般的に用いている日本聖書協会発行の口語訳聖書には、カラスを放った後、最初のハ卜を放つまでに7日間かかったとは記されておりません。しかし、第二のハ卜を放つために待った七日間のところ(創8:10)を英語の聖書(R・S・V米国改訂標準訳)で見ると、“He waited another seven days.”となっており、その7日の前にもう一つ7日があったことが暗示されています。この箇所をさらにカトリックの聖書で見ると、はっきりと次のように記されています。
しかし、『原理講論』は、創世記2章17節の「取って食べると、きっと死ぬ」は文語訳では、取って食べた「その日」(英訳では、“in the day”新改訳では“その時”、ヘブル語ではbeyomベヨム)に死ぬとなっており、したがって、あくまでもアダムとエバは取って食べた“その日″あるいは“その時”に既に死んだと見なければなりません。しかし、彼らの肉体はその後、なおも生き続け、アダムは930歳(聖書的数字)まで生きたというのであるから、堕落によってもたらされた“死”とはまさしく“肉体の死”ではなく“霊的死”と見るべきであると主張しています。