『原理講論』のロマ1:20の「神の見えない性質」の解釈は間違ってる?

地球 虫眼鏡 観察s和賀真也氏の批判
『原理講論』では、ロマ書1章20節を引用し、自然界から神を知ろうとしているが、これは、パウロが言っている「神の見えない性質」という語句を誤って理解し、その上拡大解釈した結果である。(和賀真也『統一協会―その行動と論理』212ページ)

批判に対する回答
この問題は前出の問題に続くものですが、ここで同氏は、ロマ書1:20の「神の見えない性質」をいかに解釈するかということを問題にしています。

ロマ書1:19、20の、「なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない」において、「見えない性質」を同氏は神の見えないという性質、すなわち、神の不可視性と解釈して、被造世界を見ても、神の不可視性という性質が分かるだけであって、まさにこの神の不可視性こそが神の永遠の力と神性なのだと主張しています。

ここで、まずいえることは、もし、このような和賀氏の主張を認めたとしても、結局、パウロは、神の不可視性にしろ、被造物を通して神の神性と能力が理解できると言っていることになり、パウロも自然界を通して神を知るという一般啓示を認めていることになります。しかし、この聖句をよく読んでみると、和賀氏が言うように単に神の不可視性だけを問題にしているとは思えません。

ここにおいて「目に見えない性質」というこの聖句の解釈が問題となってきますが、『新聖書注解』(いのちのことば社刊、1977年、新約)はこの聖句について次のように釈義を加えています。

「(目に見えない本性)は、“神の目に見えないということ”不可視性とも読める言葉であるが(山本泰次郎)、やはり、人間の肉的な存在や本質とは根本的に違う神の聖なる本質のことであると理解するのが良い。神の聖なる本質、〈すなわち、神の永遠の力と神性〉は、神の被造物である自然においてはっきりと認識することが出来る。

すなわち、パストゥールの告白のように自然を通じて、またカントのことばのように人間の良心によって、神の聖なる存在と偉大な力を知ることができるのである。つまり、人間は、自己の肉的感覚によってではなく、神の自然啓示において神を知ることができる。したがって、人間には全く弁解の余地がない。〈知られ〉(ギノウーメナ)は知的に、〈認められる〉(カソラータイ)は感覚的に、それぞれ認識することであり、人間があらゆる意味において神を認めることができるように、神は自らを明らかにあらわしておられる。知的にまた感覚的に認識できるということは、イデオー(直観的認識)ではなく、あくまで神のかたちにつくられた人間としての倫理的、霊的認識のことである。

さて、そのように神が自らをはっきりと啓示されたのは、人間が神に対して言いのがれをすることのできないためである」
また同書のロマ書1:19の注解には「人間は、神につくられた者として、神に関して正しい知識を持ち、神との正しい関係と心からの感謝を持たなければならない。〈神について知りうること〉(ト・グノーストン・トウーヤワー)とは、神について知ることのできることではなく、神について知られていることである(J・ノックス)。

すなわち、神にかかわる客観的な知識であり、それはすべての人間に明らかにされている。なぜなら神ご自身がそれを人間に明らかに示しておられるからである。それは自然啓示においてであり、生物学者パストゥールは、“この美しい自然と生物の研究は、私にとって自然をつくりあげた全知の創造者の存在を知る道であった”とあります。以上から見てもパウロは一般啓示(自然啓示)を認めていたと解釈するのが妥当と思われます。その他、高柳伊三郎氏も『新約聖書略解』(日本基督教団出版局刊、399ページ)において「パウロは今日の神学でいう『自然神学』あるいは『一般啓示』を認めているようである」と述べています。

また、私たちは聖書を見る時、次のような聖句に出会います。例えば詩篇19篇1節「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」とか、97篇6節「もろもろの天はその義をあらわし、よろずの民はその栄光を見た」など。ここに見られるような神の一般啓示の思想をパウロも継承していたといえるでしょう。

和賀氏の考え方はバルトの『ロマ書講解』に基づいていますが、バルトは自然神学を一切認めないことで有名で、それゆえ、「神の不可視性」などと、無理な解釈を試みています。しかし、このような考え方がキリスト教会の全体を代表する考えとはいえません。したがって、和賀氏の指摘もまた、十分客観性をもつものとはいえません。(梅本憲志・迫圉隆繁『統一原理批判に答える:和賀真也氏の批判を斬る』より)

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